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大蛇の紋章 ~ヨーロッパの紋章について~ 第四章

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第一章 まえがき (Introduction)
第二章 紋章の起源 (An Origin of Arms)
第三章 紋章を構成するもの (An Organization of Arms)

第四章 描かれしもの達 (Featured)
  4-1.ライオン
  4-2.双頭の鷲
  4-3.揺り篭から墓場まで


第五章 ヴィスコンティの大蛇 (Visconti Dragon)
第六章 あとがき (Postscript)

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第四章 描かれしもの達 (Featured)

4-1.ライオン

Lion Rampant
左片足立ちのライオン(最も一般的な形態)
Lion rampant guardant
顔を正面に向けた左片足立ちのライオン
Lion rampant reguardant
顔を後ろに向けた左片足立ちのライオン
Lion passant
歩き姿のライオン
Lion passant guardant
顔を正面に向けた歩き姿のライオン
Lion passant reguardant
顔を後ろに向けた歩き姿のライオン
Lion stantant
立ち姿のライオン
Lion sejant
座り姿のライオン
Lion couchant
うずくまり姿のライオン
Lion dormant
眠り姿のライオン
Lion salient
両足立ちのライオン
Lion rampant queue furche
尾が2本ある左片足立ちのライオン
Lion dafame
尻尾のないライオン
Lion morne
爪と舌がないライオン
Lion rampant disjointed
ばらばらになった左片足立ちのライオン
Lion tricorporated
1つの頭に3つの体がついているライオン
Lion passant combatant
立ち姿で向かい合うライオン
Lion passant counter-passant
ライオン2頭の逆向き歩き姿

「フラ・ダ・リ」「鷲」と並び、三大具象図形の1つとされるものがライオンをデザインしたものである。特に鷲とライオンは、楯の表面のフィールド(Field)に描かれるチャージ(Charge)として良く用いられている。
イングランド王をはじめとして、ヨーロッパ王室の紋章のチャージにはライオンが多く見られる。だがライオンは王の紋章のチャージだけに使用が限られているわけではない。ライオンは百獣の王とされ、紋章のデザインとしては大変に人気が高く、広く紋章に描かれているのである。これは紋章がもともと騎士の識別のために使用されたものであり、騎士が競って「強さの象徴」であるライオンを自分のものに取り入れていったからである。例えばイングランドの紋章では、12世紀中頃から14世紀の中頃までの200年間だけで見ても、頭文字がAで始まる家系の紋章に限っても、実に100を越える家系の紋章にライオンが見られるほどである。
ところがこれだけ多くライオンが登場するとあっては、ライオンの色やフィールドの色を変えていくら巧妙に組み合わせたとしても、異なった紋章を作り出すことは不可能に近くなる。そこでライオンの数を二頭、三頭と数を増やすことによって独自性を生み出したり、あるいは歩く姿勢のライオンや立ち上がる姿勢のライオンなど、姿態の異なる図形を工夫することにより同一紋章の重複を避ける方法が計られ、数多くの異なった紋章の存在を可能としていった。

けれどもいかに新種の紋章を得るためとはいえ、各人が思い付くままにライオンの姿態を決めていたのでは、紋章そのものの統一性が失われてしまうために、ここにもまた一応の基準というかルールが生み出されて行ったのである。

一般に、西欧の紋章に使われるライオンは、頭の向きが「正面向き」「前方向き」「後ろを振り向いているもの」の3通りがある。前方向きの物には特別な呼称はないが、正面を向いているものは「ガーダント(Guardant)/警戒する」と呼ばれ、また後ろを向いているものは「リガータント(Reguardant)/後ろを警戒する」と呼ばれている。
足の位置には、4通りの区別がある。4つ足とも地面につけている姿を「スタンタント(Stantant)/立ち姿」と呼び、右前足を上げて歩いている姿を「パッサント(Passant)/歩く姿」と呼び、後ろ左足で立っている姿を「ランパント(Rampant)/後肢で立つ」と呼び、後ろ両足で立っている姿を「セイリャント(Salient)/突進する」と呼ぶのである。
このように、紋章のライオンは頭の向きで3通り、足の位置に4通りの区分がある。例えばイングランド王室の紋章のライオンは、正面を向いて右前足を上げて歩いている姿をしているため、「ライオン・パッサント・ガーダント」と呼ばれている。

ライオンのなかには極めて特種なものとして、有名な「キュー・フルシエ(Queue Furche)」といって二本に分かれた尾を持つものがある。ボヘミア王の紋章がこのライオンをチャージにしているが、この紋章は旧チェコスロヴァキアの国章にまで継承され、さらにチェコとスロヴァキアの分離により、チェコの国章として生き続けているのである。さらに同国の都市の紋章のライオンのほとんどが、このキュー・フルシエのライオンを使用している。

チャージのライオンにはこの他にも「冠をつけたもの」や「鎖と首輪をつけたもの」や「剣を持ったもの」などがあり、「舌の色が青いもの」や「爪の色が赤いもの」などもある。特に剣や斧を持つライオンの場合、その剣や斧には古くからの謂れがつきまとっているのが通例である。
例えば、ノルウェイの国章のライオンが持つ斧は、1015年から1028年まで王位にあったセント・オラフを象徴するものであり、フィンランドの国章のライオンがデキスターの前肢に持つ剣は自国の防衛を、そして後肢に踏まえる剣はロシアを意味するものである。

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チェコの国章フィンランドの国章ノルウェイ大使館の紋章

4-2.双頭の鷲

紋章に多く使われる鷲の中でも、最も特徴的であるといえるのが「双頭の鷲」である。ここではその「双頭の鷲」について触れて行きたい。

元々は神聖ローマ帝国のシンボルとしての「単頭の鷲」があった。これが中世ヨーロッパにおいて最初に用いられるようになったのは、800年にカール大帝が皇帝に戴冠した際に、アーヘンの居城に導入したのが始まりであるとされている。
一方、「双頭の鷲」の起源はというと、ローマ帝国分裂後にビザンティン(東ローマ帝国)で使われ始めるようになり、「2」ということから「双頭の鷲」は東西ローマ帝国の結合のシンボルとしての意味合いをもって用いられるようになって行った。このようにして「双頭の鷲」は、1453年のコンスタンティノープル陥落まで、東ローマ帝国のシンボルとして引き継がれていったのである。
神聖ローマ帝国のシンボルとしての「双頭の鷲」は、ルードヴィッヒ4世(皇帝在位1327年~1354年)の時代から部分的に用いられ始めてはいたが、ルクセンブルク家のジギスムント(皇帝在位1411~1437年)が皇帝代理の時代に、単頭の鷲を双頭の鷲に改定し、皇帝に即位した後の1433年に神聖ローマ帝国の紋章として正式に制定したとされている。その後1438~1806年の間、神聖ローマ皇帝位はハプスブルク家によって伝えられ、1806年にナポレオン軍による欧州統合によって神聖ローマ帝国が解体された後も、最後の皇帝がハプスブルク・ロレーヌ家のフランツ2世(皇帝在位1792~1806年)であったことから、紋章はハプスブルク家に引き継がれて行った。

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皇帝ルードヴィッヒの紋章

一方ロシアはというと、13世紀以来約250年間に渡ってモンゴル人の支配に服していたが、15世紀頃からモスクワ大公国が力をつけ、イヴァン3世の時代にモンゴル人の支配から完全に独立した。このイヴァン3世は、1453年に滅亡したビザンティン(東ローマ帝国)の最後の皇帝の姪であるソフィアと結婚し、自らをビザンツ皇帝の後継者と称していた。またロシア皇帝としての公式称号である「ツァーリの称号」を用い、ローマ帝国や神聖ローマ帝国でも用いられた「双頭の鷲」の紋章をも継承した。この「双頭の鷲」の胸にモスクワの紋章を配置することで、第3の「ローマ帝国」として、古代以来の伝統の後継者になろうとしたのである。
モスクワ大公国はビザンツ文化を積極的に受け入れたので、ビザンツ帝国の滅亡後はギリシア正教の中心もモスクワに移った。このためモスクワは「第二のコンスタンティノープル」、またはローマ・コンスタンティノープルに次ぐ「第三のローマ」とも呼ばれるようになったのである。
イヴァン3世の孫でロマノフ家のアナスタシアと結婚したイヴァン4世の死により、モスクワ大公として700年以上も君臨してきたリューク朝は断絶したが、1613年に全国会議が開かれてロマノフ家の「ミハイル=ロマノフ」がツァーリに選出され、ロマノフ朝を開いた。しかしながらこれはロマノフ家の力によるというより、当時の諸勢力の無難な選択の結果だったともされている。ではあるが、このロマノフ朝は以後300年にわたってロシア革命で崩壊するまで続くのである。

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ロシア共和国の国章

このリューク朝、ロマノフ朝の流れをくみ、現在に双頭の鷲の勇姿を伝えているのが、今のロシア共和国の国章である。これは赤い紋章の楯と、金の双頭鷲が描かれたものである。
鷲の羽根は大きく開かれて上を向いている。鷲の頭の上には、歴史的に重要なピョートル1世の3つの王冠があるが、これは新しい条件下での「ロシア連邦」「地方」などを象徴している。鷲の足には王笏(おうしゃく)と帝王の権標(十字架のついた黄金の球)が握られており、「国家権力」と「統一国家」を具現している。鷲の胸には竜に槍を突き立てている騎士が描かれているが、この絵はロシア神話から取られた「善と悪」「光と闇の戦い」「祖国の擁護」をシンボル化しているものである。そして双頭鷲の頭は「東西の統一」「東西の芸術文化」を象徴しているのである。

4-3.揺り篭から墓場まで

ヨーロッパの紋章における「具象図形」には、私達日本人の目から見ると驚いてしまうような、ありとあらゆるものが登場して来る。架空の生物や伝説の人物から、その時代の最先端を行く科学技術を表したものまである。しかも通常日本人であれば避けるであろう「忌み物」といった概念がなく、「骸骨」を始めとして「血のしたたる心臓」や「切り落とした生首」や「女性の乳房」といったものまで存在している。文字通りに「揺り篭(イングランドのバスケット同業組合の紋章)から墓場(ポーランドのマギラ家の紋章)まで」といったところである。
もっとも「忌み物」とはいってもそれは日本人的な感覚からのことであって、もちろんそのデザインの根拠としては正当な理由を持っている。例えば紅茶のブランドとして有名な北アイルランドにあるロンドンデリー(北アイルランド紛争のIRAの本拠地としても有名)市の紋章に見られる「石に腰を下ろした骸骨の図形」は、同市が1689年に105日間の包囲戦で多数の餓死者を出したことから、その苦難を忘れまいと象徴させたものであり、ハンガリアの貴族の紋章に多く見られる「切り落とした生首」の図形は、侵略者であるトルコ人への怨念と復讐を表したものである。また、「血のしたたる心臓」の図形は、「犠牲的奉仕」をシンボル化したものだとされている。

  1. 2011/02/01(Tue) 00:04:15|
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