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大蛇の紋章 ~ヨーロッパの紋章について~ 第二章

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第一章 まえがき (Introduction)

第二章 紋章の起源 (An Origin of Arms)
  2-1.紋章とは
  2-2.西洋の紋章と日本の紋章
  2-3.日本の紋章(家紋)
  2-4.武具から誇示的存在へ(ファッションとしての紋章)
  2-5.紋章の色
  2-6.紋章院と紋章学


第三章 紋章を構成するもの (An Organization of Arms)
第四章 描かれしもの達 (Featured)
第五章 ヴィスコンティの大蛇 (Visconti Dragon)
第六章 あとがき (Postscript)

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第二章 紋章の起源 (An Origin of Arms)


2-1.紋章とは

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パリ市市章ロンドン市市章

日本には家紋というものがあるが、東京都とか横浜市といった都市にはマークはあるが紋章というものは存在していない。けれどもロンドン市やパリ市には紋章がある。都市だけではなく、大学の紋章や、教会の紋章や、企業の紋章といったものまで存在している。日本では「家紋」といわれるように、一般的には個人としてではなくて「家」を中心とした紋章が存在しているが、これに対して西洋では「個人」を基本とする紋章がそもそもの始まりであり、それにやがて家紋的な要素も組み込まれ、遂には個人以外の「国」とか「都市」とか「教会」とか「法人」にまで広がって行ったのである。
そもそも紋章とは、何の為にどのようにして作られて広まって行ったものなのだろうか。その歴史的な意味合いについて、発祥の時代の紋章にまでさかのぼって考えることにした。
紋章は「戦場で個人を認識するため」に作られた。中世の戦争方法は、本当に今では信じられないほど「形式」的なところがあった。 たとえば戦うのに「名乗り」を上げて、一対一で騎乗で戦ったのである。 そのような「形式」から生まれた「個人識別のための手段」として、紋章が生み出されて発展して行ったのである。
「紋章学」という学問があるくらいに、紋章というものは奥が深いものであり、学説によって何をもって紋章とするのかの定義というものはまちまちなのだそうであるが、もっとも普遍的な定義としては「中世ヨーロッパにおいて」「キリスト教支配の貴族社会に始まり」「楯にそれぞれ個人を認識できるシンボルをあしらった」「世襲的な制度」ということにまとめられる。
「楯にあしらった」ということは、そもそもの始まりから「戦い」を前提としているものであり、それが現在の紋章の多くに「楯の形」が使われていることにも繋がって来ているのであろう。なお、この楯だけの形をしている紋章を意味する言葉として、英語の「コート・オブ・アームズ(Coat of Arms)」、フランス語の「アルメ(Armes)」、ドイツ語の「ワッペン(Wappen)」などがある。
「個人を認識する」というのは極めて大切な取り決めであって、たとえ親子であっても同一紋章の使用は許されなかった。当主が死亡した時にのみ、長男だけが父の紋章を継承するというように、厳格に取り扱われていた。親子の間ですらこのように厳格なのだから、もしも他人が自分と同様の紋章を用いていた場合などは、相当な争いごとにもなった。このため、同一紋章の出現を防ぐシステムとして、紋章を登録する制度が作られたのである。紋章調査にあたる紋章官は「ヘラルド(Herald)」と呼ばれた。イングランドにおいては紋章院(College of Arms)までが創設され、紋章の調査・認可・登録・訴訟などの一切を扱うようになった。この紋章院の最高責任者である紋章院総裁(Earl Marshal)は、代々ノーフォーク公爵家の世襲職位として今日まで続いているのである。なお現在イングランドの「紋章院」は、紋章の管理はもちろん、英国の公式行事の進行、国会の召集と王の議場への誘導、王室の結婚式、葬式などの「式部」を司っている。この同一紋章が二つ以上あってはならないという厳しい取り決めは、同一国内もしくは同一主権領内のみで有効であって、別々の国家であれば同じ紋章が存在することはなんら差し支えがなく、実際に多くの実例もある。
もう一つの大切な取り決めである「紋章が世襲的でなければならない」ということは、その紋章が継承されて来たという実績を必要とするということである。一代のみで終わってしまった場合などは紋章とは見なされない。これらは「紋章(Arms)」に対して「しるし(Emblem)」と呼ばれ区別されている。けれどもこの「継承実績の有無の判定」は微妙であり、紋章学者の間でも大きく見解が分かれている部分である。

2-2.西洋の紋章と日本の紋章

日本の紋章との相違点や類似点についても触れてみたい。
先にも述べたように、日本の紋章は「家紋」とも呼ばれるように、同一世帯や同一家系で同じ紋章を使用しているというように、同一紋章が二つ以上あってはならないという西洋の紋章の絶対的なルールに照らして大きく違った特徴がある。一方、代々継承されて行くという点では、その意味合いは類似しているともいえる。
日本の紋章は「楯に描かれたものではない」ということと、「同一の紋章が複数の家系で使用される」ということで、多くの西洋紋章学者は日本の紋章を「西洋の紋章とは異なるもの」としているが、継承されるという類似性から「西洋の紋章に近い唯一の制度」として、また継承性のある紋章が千年前から存在しているというのはヨーロッパと日本だけであるということから、「紋章比較論」としての重要なテーマになっている。
ではあるが、西洋の紋章には日本の紋章には全く存在しない独特のシステムがある。その代表的なものとして「婚姻によって紋章が変化する」ということがある。先に述べたように、長男は父親の紋章をそのまま継承して行くが、もしも女子相続人と結婚した場合には、妻の生家の紋章を自分の紋章に加えることになり、二つの家系の紋章を合わせて一つの楯に収めた紋章を代々継承して行くことになる。女子相続人とは男兄弟のいない娘を指し、父親の財産や爵位を継承するばかりでなく、紋章も継承し、結婚すれば夫の紋章に自分の紋章を加える「権利」をも持っているのである。
このように複数の紋章を組み合わせることを「マーシャリング(Marshalling)」といい、詳しくは後に触れることとするが、これは結婚によって必然から生じてきたものなのである。

その後、西洋の紋章は時代とともに大きく変化して行く。初めは楯だけであった紋章に、ヘルメットや冠、あるいはライオンといった楯を支えるものなど、各種のアクセサリーともいえるものを加えて華やかなものへと変わって行くのである。また本来は個人のものであった紋章が、国・都市・大学・教会・企業といったものにまで広がって行く。これは元々は王の紋章が国の紋章として使われたり、伯爵家の紋章が伯爵領のものとして使われたり、大学や企業の創設者がその紋章を採り入れたりしたことによるものである。しかしながら、次第にそうした個人の紋章とは関係なく、都市がその地域の伝説に由来する動物を描いた紋章を使用したり、都市名にちなんだ動物をシンボルにしたりとか、様々なものまでもが現れて来る。

2-3.日本の紋章(家紋)

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ここで更に詳しく、私達になじみの深い「日本の紋章(家紋)」について述べてみたい。日本での紋章(家紋)の始まりは、ヨーロッパのものとほぼ同じ11世紀頃に、公家の牛車に施された目印である紋様がその起原であるとする、新井白石の説が有力だとされている。現在でいえば自家用車にあたる牛車が、車寄せが一杯になった時に、自分の牛車をたやすく見分けるための目印として付けられたのが「紋様」であり、その紋様の一部を図形化して印としたものが「家紋」となっていったとする説である。
時代も同じ11世紀に、しかも同じ貴族社会に始まったヨーロッパと日本の紋章の起原は、とても興味があるものに思われる。さらに継承するということまで一致するということからも、互いの制度が完全に同一であるものではないにせよ、無視のできない存在だといえる。ヨーロッパの紋章学でも、日本のものに「継承性」があるという事実によって、「紋章はヨーロッパと日本だけに存在するもの」とする説も多数存在している。しかしながら、あくまでも紋章は個人のものであるとするヨーロッパの紋章と、家を単位とする考え方に基づく日本の紋章では、やはり大きな違いがあるのも事実である。
日本の紋章(家紋)の特徴としては、「何をもって紋章(家紋)とするのか」という定義が確立されていないことがある。こうした曖昧さが生じてしまっている原因としては、ヨーロッパのように紋章院や紋章官といった公的機関による認知統括制度が生まれなかったからであるとともに、「禁止令」はあったものの「紋章(家紋)とはこうあるべき」といった、前向きな仕組み作りが積極的に行われなかったことも挙げられる。
ヨーロッパの紋章は、11世紀から12世紀にかけて、ヨーロッパ各地で相次いで発足したとされ、その発足と同時ともいえるほどに制度化が進み、上は王侯貴族からナイトに至るまで、皆が足並みを揃えてこれを使用するようになった。一方日本はといえば、紋章(家紋)は私的ともいえる使用に始まり、公的な制度としてはついに定着しないまま今日に至ったということが、紋章(家紋)の定義付けを曖昧にしてしまっている原因だと考えられる。それにも関わらず、特に武家社会においては紋章(家紋)は風習という形で広く行き渡り、あたかも公的制度によって統括されたかのごとく整備されて行ったのである。

2-4.武具から誇示的存在へ(ファッションとしての紋章)

11世紀から12世紀に始まったヨーロッパの紋章は、わずか100年あまりの短かい間に全ヨーロッパに普及して行った。その普及の立役者となったとされるのが「十字軍の遠征」であるとされている。どの国の十字軍騎士が最初に楯に紋章を描いたのかは明らかではないが、一部の騎士が使用していた紋章楯は、またたく間に各国の騎士の間に広まって行ったのである。現在でいえばファッションの流行のようなものであろうか。そして、これらの騎士が持ち帰った紋章楯は、それぞれの国や諸侯に爆発的に広まって行ったのである。そしてさらにそれぞれの国や諸侯での普及を促したのが「騎乗槍試合」である。
騎乗槍試合は、平時における騎士の訓練として広く行われていたが、娯楽の少ない当時においては、老若男女、貴賎を問わずに、もっとも人気の高い見世物(ショー)でもあった。全身を金属甲冑で覆った騎士を見分ける方法として、早速紋章楯が使用されたのである。やがてファッション的な要素がますます加速し、兜には兜飾り(クレスト)を加え、鎧の上には紋章図を描いた陣羽織(サーコート)を羽織り、騎馬にも同じく紋章図を描いた外被(カバリゾン)を付けて出場するという、華やかなものになって行ったのである。
騎乗槍試合は、紋章の普及に大きく貢献したが、さらにそれまでは楯だけであった紋章に変化を与えて行く動機にもなった。ヨーロッパの紋章といっても、楯だけの図形のものもあれば、楯の上部にヘルメットを付けたものや、さらには両側にライオンを配したものなど、様々なものがある。つまりは紋章は、初めはあくまでも図形を描いた楯だけであったものが、平時の騎乗槍試合などにおいて、ヘルメットに飾りを付けたり、色鮮やかなマントを羽織ったりしているうちに、次第に華やかなものへと変化して行ったのである。

2-5.紋章の色

日本の紋章(家紋)と比較して、ヨーロッパの紋章の特徴の一つとして「彩色されたものである」ということが挙げられる。つまりはヨーロッパの紋章は例外なく多彩であるのに対して、日本の紋章(家紋)はそのほとんどが単彩であるということに、大きな相違を見ることができる。
もっともヨーロッパの紋章にも初期の段階では、楯の全面が赤一色とか金一色といったものが存在していたし、そうした極めて珍しい紋章を今日まで継承している家系が全くないわけではない。けれども日本の紋章(家紋)が単彩であらゆる紋章図形を表現しているというのとは、その性格を大きく異にしているのである。
すでに触れたように、ヨーロッパの紋章には「同一国内」あるいは「同一主権領内」では、二つ以上の同一紋章の存在は認めないという厳しい取り決めがある。したがって、誰かが「楯全面赤一色」という紋章を使用していたならば、その他の者は単彩で赤といった紋章を使用することは絶対にできない。そこで、例えば楯を上下、あるいは左右、あるいは斜めに二分して、一方を赤、他方を金といった塗り分けをして使用するとかの工夫をすることになる。また更に、二分彩色だけではなくて、赤の地の色の上に金色のライオンを配置するとかの工夫を加えて行く。このように紋章は時代の推移とともに、文字通りに多彩を極めるようになって行ったのでである。

紋章に使用される色は通常、「金属色」(Metals)、「原色」(Colours)、それに「毛皮模様」(Furs)の三つに大別される。
「金属色」とは「金/オー(Or)」と、「銀/アルジャント(Argent)」の2色で、黄と白で表されることもある。「原色」とは「赤/ギュールズ(Gules)」「青/アザー(Azure)」「黒/セイブル(Sable)」「緑/ヴァート(Vert)」「紫/パーピュア(Purpure)」「深紅/サングイン(Sanguine)」と、ごく稀に「橙/テニー(Tenny)」が使われるのみで、これらの中間色やパステル・カラーは一切認められていない。「毛皮模様」は特殊なもので「アーミン(Ermine)」「ヴェア(Vair)」「ポウタント(Potent)」等があるが、使用頻度は少ないようである。紋章のカラフルなイメージとは裏腹に、通常使用できる色はごく稀に使用されている橙と毛皮を除けば僅か8色と、非常に少ないことが特徴である。
これは紋章の識別性を高めるためであり、戦場で一瞥しただけで相手を判別するには、あまり色数が多くては困るからである。さらにこれらの配色にも厳しい取り決めがあり、「金属色」の上に「金属色」を重ねることや、「原色」の上に「原色」を重ねることは禁止されている。これは「地」と「紋」の明度差を確保するために定められたもので、幾つかの例外を除いては厳重に守られている。

2-6.紋章院と紋章学

他の章でも少し触れているが、ここでは「紋章院」と「紋章学」についてまとめて取り上げてみたい。

前述したように、紋章は「戦場で個人を認識するため」に作られた。その「個人を識別しなければならない」という必然性から、厳しすぎる程のルールが生まれて行った。その中でも最も重要な決まりとして「同じ紋章を作ってはならない」ということがある。これを厳格に徹底せず好き好きに紋章をデザインすることを許容してしまうと、「紋章は個人識別方である」という理念から離れて行ってしまうからである。
この「識別方」を崩さないために、中世ヨーロッパの国々には、「紋章院」という役所が、紋章を管理・統括するために作られた。またかつてはヨーロッパの植民地であったアフリカでも、ヨーロッパの影響を受けつつもアフリカ独自のデザインを取り入れた素晴しい紋章が多く生み出され、それを管理するための役所が作られている。現在ヨーロッパで紋章院が残っているのはイギリス(イングランド、スコットランド)のみとなってしまった。またアフリカでもガボンには、イギリス同様に紋章の役所が残っているそうである。それでは現在あるイギリスの「紋章院」とはどんな仕事をしているのだろうか。これもすでに前述しているが、「紋章院」は紋章の管理はもちろん、英国の公式行事の進行、国会の召集と王の議場への誘導、王室の結婚式、葬式などの「式部」を司っているのだそうである。そして歴代の紋章院総裁はノーフォーク公(ノーフォーク家)が務めることとされているが、このノーフォーク家の紋章は、「ハワード家」「ブラザートン家」「ウォーレン家」「フィッツラン家」というイギリスの名家と言われている4家の複合体となっている。このように、紋章を見れば大まかに家系を知る事ができるため、歴史を研究するにあたって必要なことを教えてくれたりもするのである。

この紋章について、歴史的な背景を含めて体系化した学問が「紋章学」である。上記の通りに本来の用途としては、紋章は「個人をあらわすもの」であるが、結婚・戦争・領土等を紋章と言うマークに置き換えて書き加えて行ったことによって、「家系図」的な要素や「歴史」的な要素も多く含むようになった。一口に紋章と言ってしまうと、ヨーロッパ等でよく見かける楯型をしたマークのことを思い浮かべるが、この紋章にはデザインの美しさ以外にも、非常に長い歴史と伝統がある。この紋章に関する調査・研究をするのが、紋章学である。

フランスでは革命後、「紋章は貴族の象徴である」として公式な存在としては廃止され、現在でも正式な国章は持っていない。けれども貴族制度や紋章の使用が廃止された後でも、貴族情報紙とでも言えるような現代の貴族の生活やインタビュー等を載せた雑誌が発行され続けており、これには登場する人の紋章が記載されたりしているそうである。せっかく革命で人類平等を宣言したのに、やはり現実には貴族の生活に憧れを抱くものなのであろうか。
一方ドイツでは、東西ドイツ統一後に地方自治体の整備が積極的に行われており、各地方の紋章も整備されつつある。また東欧でも最近では、旧ソ連の崩壊、民主化等に伴ってそれぞれの地域での民族意識が高まり、社会主義時代に廃止した古い紋章が次々と復活している。今後はますます紋章に対する興味が呼び起こされて行くのではないだろうか。

  1. 2011/02/01(Tue) 00:04:52|
  2. 大蛇の紋章
  3. | コメント:2
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Comment (Thanks!)

だんだん

難しくなってきたぞ(笑)。そもそも普通に生活してて、自分の家系の家紋って意識したりしないよね。雛人形を買う時に家紋を入れるサービスがあり、初めて知ったくらい!
  1. |
  2. 2011/02/02(Wed) 00:59

一応は

> ゆーこさん
一応は卒業論文ですからね(笑)!
ちなみに家紋だったら一応はウチにもあるみたいだけど・・・。
  1. |
  2. 2011/02/02(Wed) 08:25

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